2005-09-11
仙台から
山口から仙台にやってまいりました。会場は、最終日ということもあって混んでいます。
全国5会場の展示撤収を1年間やってきましたが、これで展覧会は終わります。仏様たちは興福寺にお戻りになり、私の仕事もこれで最後になります。
興福寺は今、平成の大復興を目指して境内整備を行なっております。この展覧会もその事業の一環です。古代・中世を通じて、天平文化を守り伝えてきた興福寺を紹介することもこの展覧会の目的です。展覧会をご覧になった方々。一度奈良を訪ねてくださいませ。興福寺のみほとけたちが再び迎えてくださることでしょう。
それでは、仙台の地からお別れをいたします。
2005/9/11 山口県立美術館 岩井共二
Comments
かすっぺ wrote:
2005-10-20 00:35:51
ついに最終日
おう、とうとう展覧会最終日が来ちまったぢゃねぇか?
なのによぉ。オレの出番がやけに少なかったじゃねぇか。
オレだって、この展覧会の目玉なんだからよぉ。もっと紹介しろよ。いくら相棒の龍燈鬼が山口に行ったからって不公平だろぉ。俺だってあいつとおなじぐれぇ頑張ってんだからよぉ。
コラ、きいてんのか?
ごめんね。天燈鬼くん。
あまり紹介できなくて…
色々書き残したこともありましたが、全国5会場をめぐった興福寺国宝展−鎌倉復興期のみほとけも、本日を持ちまして閉幕いたします。
長い間全国を行脚してくださったほとけさまたちに、感謝します。
そして、
この展覧会をご覧いただいたかたがたにも厚くお礼申し上げます。
08:48:22 - iwai - No
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2005-09-09
復興にむけて

本日、山口県玖珂郡美川町の美川小学校に行ってきました。全国ニュースで流れたのでご覧になった方もいるかと思います。
私も教育委員会所属の機関の職員なので、動員されて、学校復旧の手伝いに行ったのです。私みたいな非力な人間がかり出されるぐらいですから、かなり大変な状況になっていました。
美川小学校は、錦川(錦帯橋のある川)のそばにありますが、校舎の一階完全に水没し、水が引いた後には校庭に膨大な土砂、いや泥が堆積していました。
私たちは、校舎の裏庭にたまった泥の除去などを手伝ったのですが、泥ってあんなに重いとは思いませんでした。ちょっとスコップで泥をすくっただけで背中が筋肉痛になってしまいました。その大量の泥を前にして、自然の脅威にただおののくばかりでした。
浸水によって使えなくなった放送室の放送機器や机、畳、ピアノ。色々なものの運び出しを手伝いながら思いました。
お金や労力、時間によって取り戻せるものもあるけど、取り戻せないものもあるだろう。泥は時間と労力で除去できる。壊れた機械は新しいものに取り替えられる。でも、ゴミとして捨てられていくもののなかには、決して取り替えの出来ない大事なものだってあっただろうに…。
こんなことを、この観仏日誌に書いたのは、やはり「復興」というテーマを考えさせられたからです。
山口会場独自の展示解説の準備稿でこんな文章を考えていました。
いつの時代でも、戦争や災害からの復興に必要とされるのは、そこで傷ついた人々の心のケアと、新しい時代の創造である。鎌倉復興期の興福寺もそうであった。
この展覧会は「南都炎上の悲劇からの復興」という大きな時代の流れの中で、傑作の数々が生まれたということを、時事ネタで説明したいということで考えた内容でしたが、長くて説教くさすぎると思ってボツにしました。しかし、改めて私はこのことを強く思いました。
失われたものは、もとには戻りません。私たちは、ただ、前に進むしかないのです。災害で悲惨なダメージを受けた方々が、一日も早く復興し、新しい時代を築いていただきたいと願うばかりです。
20:50:20 - iwai - No
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2005-09-08
はな
久しぶりにトリビアな話をいたしましょう。

こちらは無著菩薩立像の顔面アップです。
ここで注目して頂きたいのは、鼻の穴です。
鼻の穴奥に黒く見えるのは、鼻くそではありません。鼻の穴を深くうがって、頭の内部の空洞にまで達しているのです。
この展覧会に出陳されている彫刻で、鼻の穴をここまで深くあけているのは、無著・世親菩薩の二体だけです。
耳の穴に関しては、無著・世親だけでなく、法相六祖像も内部にまで達する深い穴が開いていますが、鼻の穴までは、深く開いていません。
これは、尊像の種類によっても、違うみたいです。たとえば、文殊菩薩像は、耳の穴も鼻の穴もつくってはありますが、中まで貫通させてはいません。
歴史上の人物については、生きた人間のごとくリアルに呼吸出来るように、鼻の穴まで深くうがってというような考え方があったのかもしれません。
会場内の照明ではわかりづらいでしょうが、そうなっているのだと言うトリビアをご報告しておきます。
こちらは無著菩薩立像の顔面アップです。
ここで注目して頂きたいのは、鼻の穴です。
鼻の穴奥に黒く見えるのは、鼻くそではありません。鼻の穴を深くうがって、頭の内部の空洞にまで達しているのです。
この展覧会に出陳されている彫刻で、鼻の穴をここまで深くあけているのは、無著・世親菩薩の二体だけです。
耳の穴に関しては、無著・世親だけでなく、法相六祖像も内部にまで達する深い穴が開いていますが、鼻の穴までは、深く開いていません。
これは、尊像の種類によっても、違うみたいです。たとえば、文殊菩薩像は、耳の穴も鼻の穴もつくってはありますが、中まで貫通させてはいません。
歴史上の人物については、生きた人間のごとくリアルに呼吸出来るように、鼻の穴まで深くうがってというような考え方があったのかもしれません。
会場内の照明ではわかりづらいでしょうが、そうなっているのだと言うトリビアをご報告しておきます。
10:11:54 - iwai - No
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2005-09-07
V
昨日の晩。西日本を直撃した台風14号によって、また大きな被害がもたらされ、多くの犠牲者が出てしまいました。アメリカ南部を襲ったハリケーンのカトリーナの被害も甚大です。
今年もまた、災害の年になってしまいました。その脅威に私たちはただ呆然とするばかりです。
私の住む山口の近くでは、錦帯橋や厳島神社が被害に遭っています。文化財復興という課題は、常に私たちに突きつけられている問題だということをあらためて思い知らされます。
なかなか明るい話題になりません。
そんな中で、こんな世の中を明るくする、あのゴージャスなダンスショー「マ○ケンサンバIII」がもうすぐ出るというニュースを耳にしました。
デモを視聴してみると
「腰をふって」
というフレーズがありました。
そうです。鎌倉彫刻は腰が命。

♪…腰をふって(腰をふって)
あつい あつい …
エスペランサ
…オレ オレ オーレ…
みんなで おどろう
…
オレ♪
鎌倉復興期のみほとけたちよ。
私たちに勇気と希望と力を与えてください。
※エスペランサは、ポルトガル語で「希望」。
今年もまた、災害の年になってしまいました。その脅威に私たちはただ呆然とするばかりです。
私の住む山口の近くでは、錦帯橋や厳島神社が被害に遭っています。文化財復興という課題は、常に私たちに突きつけられている問題だということをあらためて思い知らされます。
なかなか明るい話題になりません。
そんな中で、こんな世の中を明るくする、あのゴージャスなダンスショー「マ○ケンサンバIII」がもうすぐ出るというニュースを耳にしました。
デモを視聴してみると
「腰をふって」
というフレーズがありました。
そうです。鎌倉彫刻は腰が命。
♪…腰をふって(腰をふって)
あつい あつい …
エスペランサ
…オレ オレ オーレ…
みんなで おどろう
…
オレ♪
鎌倉復興期のみほとけたちよ。
私たちに勇気と希望と力を与えてください。
※エスペランサは、ポルトガル語で「希望」。
17:56:35 - iwai - No
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2005-09-05
マッスル
最近の観仏日誌
読み返してみたら、内容がみょーにクラい…。
前に、暗い世の中を明るくするのが鎌倉時代の仏像だって、いったような気がしたんだけど…。
何かつらいことでもあったのかって?
う〜〜〜ん…?
少し、軽い話題にしましょう。

この筋肉ムキムキの金剛力士。もともとは、中国の隋唐時代(6〜8世紀)にシルクロードを通ってやってきた胡人(北方や西域の人々)がモデルになったと考えられます。(ただし、その人たちをリアルに表現したというわけではありません。そして、日本の鎌倉時代にこんな顔した人がいたというわけでもありません。)
胡人と言われた人々は、今とは人種も民族も変わってしまっているようですが、アラブ系とかヨーロッパ系の顔立ちに近いと考えたらいいでしょう。
この金剛力士の力をため込んだような腕のポーズから、ふと、あるテレビ番組で、「筋肉にキクーッ」とか「カモーン」とか絶叫してガッツポーズをとっている、イラン出身の、マッチョなあの人を思い出してしまいました。
彼は、ひょっとして金剛力士の末裔だったのか…。
でも、力士だったら今人気は、東欧出身のあの人とか。
ちょっとイメージ違うかな…。
読み返してみたら、内容がみょーにクラい…。
前に、暗い世の中を明るくするのが鎌倉時代の仏像だって、いったような気がしたんだけど…。
何かつらいことでもあったのかって?
う〜〜〜ん…?
少し、軽い話題にしましょう。
この筋肉ムキムキの金剛力士。もともとは、中国の隋唐時代(6〜8世紀)にシルクロードを通ってやってきた胡人(北方や西域の人々)がモデルになったと考えられます。(ただし、その人たちをリアルに表現したというわけではありません。そして、日本の鎌倉時代にこんな顔した人がいたというわけでもありません。)
胡人と言われた人々は、今とは人種も民族も変わってしまっているようですが、アラブ系とかヨーロッパ系の顔立ちに近いと考えたらいいでしょう。
この金剛力士の力をため込んだような腕のポーズから、ふと、あるテレビ番組で、「筋肉にキクーッ」とか「カモーン」とか絶叫してガッツポーズをとっている、イラン出身の、マッチョなあの人を思い出してしまいました。
彼は、ひょっとして金剛力士の末裔だったのか…。
でも、力士だったら今人気は、東欧出身のあの人とか。
ちょっとイメージ違うかな…。
10:08:30 - iwai - No
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2005-09-04
重衡被斬
つたへ聞く、調達が三逆をつくり、八万蔵の聖教をほろぼしたりしも、遂には、天王如来の記別にあづかり、所作の罪業まことにふかしといへども、聖教に値遇せし逆縁くちずして、かへッて得道の因となる。いま重衡が逆罪ををかす事、まッたく愚意の発起にあらず。只世に随がふことわりを存ずるばかり也。命をたもつ物、誰か王命を蔑如する。生をうくる物、誰か父の命にそむかん。かれと言ひ、これと言ひ、辞するところなし。理非
仏陀の照覧にあり。そもそも罪報たちどころにむくひ、運命只今を限りとす。後悔千万、かなしんでもあまりあり。ただし三宝の境界は、慈悲を心として、済度の良縁まちまち也。「唯縁楽意、逆即是順」、此の文肝に銘ず。一念弥陀仏、即滅無量罪、願くは、逆縁をもッて順縁とし、只今最後の念仏によッて、九品託生をとぐべし(『平家物語』「重衡被斬」より)
南都焼き討ちの総大将平重衡は、こう言って高らかに念仏を唱え、1185(元暦2)年6月23日、首を斬られたのでした。
一ノ谷の合戦で敗走し、部下にも逃げられ、一人自害しようとしたが、かなわず虜囚の辱めを受け、鎌倉に送られ伊豆に幽囚の身となりました。しかし、その後南都の大衆の要求で、奈良に引き渡され、木津川のほとりで処刑されることになったのです。
父である平清盛の命により、南都を攻め、灯りとりのために放った火が、東大寺・興福寺を焼き尽くしてしまったことで、奈良の人々から仏敵、法敵の逆臣とされてしまいました。当時お寺の堂塔を破壊する行為は生前の罪として非常に重く、地獄行きになると言われていました。
その罪への後悔と、罪の報いとしての自分の運命を受け入れ、「逆即是順」すなわち仏の道に背いた行いが、かえって仏の道に入るきっかけとなることを信じ、仏を拝みながら死んでいくのでした。
何千人もの死者を出した南都炎上の首謀者の処刑を見ようと集まった南都の大衆も武士たちも、重衡の最期にみな涙したと言います。
「復興」というテーマについて考えるとき、この重衡の最期の言葉が思い出されるのです。
私たちは、いつ何時、事故や災害、犯罪の被害者となるかわかりません。しかし、加害者となる事もありうるということについて、どれだけ私たちは気付いているでしょうか。
心ならずも東大寺・興福寺を焼いてしまった平重衡のように。
加害者には救済される資格はないのでしょうか?
Mr.Childrenの「タガタメ」という歌に
子供らを被害者に加害者にもせずに
という一節がありますが、私はこの後に続く一節のほうに注目しています。
でももしも被害者に 加害者になったとき
私たちは、一体どうすればいいのか。
話が思いっきり飛躍してしまいましたが、私の中ではこの歌と重衡の最期の言葉が重なってくるのです。
この世界に潜む 怒りや悲しみに
あと何度出会うだろう それを許せるかな?
(『平家物語』の現代語訳は、勘弁してください。)
仏陀の照覧にあり。そもそも罪報たちどころにむくひ、運命只今を限りとす。後悔千万、かなしんでもあまりあり。ただし三宝の境界は、慈悲を心として、済度の良縁まちまち也。「唯縁楽意、逆即是順」、此の文肝に銘ず。一念弥陀仏、即滅無量罪、願くは、逆縁をもッて順縁とし、只今最後の念仏によッて、九品託生をとぐべし(『平家物語』「重衡被斬」より)
南都焼き討ちの総大将平重衡は、こう言って高らかに念仏を唱え、1185(元暦2)年6月23日、首を斬られたのでした。
一ノ谷の合戦で敗走し、部下にも逃げられ、一人自害しようとしたが、かなわず虜囚の辱めを受け、鎌倉に送られ伊豆に幽囚の身となりました。しかし、その後南都の大衆の要求で、奈良に引き渡され、木津川のほとりで処刑されることになったのです。
父である平清盛の命により、南都を攻め、灯りとりのために放った火が、東大寺・興福寺を焼き尽くしてしまったことで、奈良の人々から仏敵、法敵の逆臣とされてしまいました。当時お寺の堂塔を破壊する行為は生前の罪として非常に重く、地獄行きになると言われていました。
その罪への後悔と、罪の報いとしての自分の運命を受け入れ、「逆即是順」すなわち仏の道に背いた行いが、かえって仏の道に入るきっかけとなることを信じ、仏を拝みながら死んでいくのでした。
何千人もの死者を出した南都炎上の首謀者の処刑を見ようと集まった南都の大衆も武士たちも、重衡の最期にみな涙したと言います。
「復興」というテーマについて考えるとき、この重衡の最期の言葉が思い出されるのです。
私たちは、いつ何時、事故や災害、犯罪の被害者となるかわかりません。しかし、加害者となる事もありうるということについて、どれだけ私たちは気付いているでしょうか。
心ならずも東大寺・興福寺を焼いてしまった平重衡のように。
加害者には救済される資格はないのでしょうか?
Mr.Childrenの「タガタメ」という歌に
子供らを被害者に加害者にもせずに
という一節がありますが、私はこの後に続く一節のほうに注目しています。
でももしも被害者に 加害者になったとき
私たちは、一体どうすればいいのか。
話が思いっきり飛躍してしまいましたが、私の中ではこの歌と重衡の最期の言葉が重なってくるのです。
この世界に潜む 怒りや悲しみに
あと何度出会うだろう それを許せるかな?
(『平家物語』の現代語訳は、勘弁してください。)
00:39:02 - iwai - No
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2005-09-03
敦盛最期
あはれ、弓矢とる身ほど口惜かりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかゝる憂き目をば見るべき。なさけなうも討ちたてまつるものかな
『平家物語』「敦盛最期」の一節。熊谷次郎直実が、年若い武将(敦盛)の首を斬った後に言った言葉です。殺したくない相手でも、いくさだから、敵だから、武士だから殺さなければならない不条理さを嘆いた言葉です。
源平の戦いが終わり、武士の時代が到来しようとしていた時、この世の不条理・生き地獄を味わい、傷ついた人々が、新しい時代の新しい教えを求めていました。
この展覧会に出陳されているみほとけたちは、そんな時代の雰囲気の中で造られたのではないでしょうか。
(こういう話を山口会場でしていたら、会期中に流れたテレビ番組で、「源平合戦のさなかに生まれた仏たち」というテロップが出てしまって閉口しました。「源平合戦の後」が正しいです)
『敦盛最期』の物語は、能や幸若舞になっています。
織田信長が好んだ「人生五十年。下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり。ひとたびこの世に生を受け滅せぬもののあるべきか」は、幸若舞『敦盛』の謡いです。
『平家物語』「敦盛最期」の一節。熊谷次郎直実が、年若い武将(敦盛)の首を斬った後に言った言葉です。殺したくない相手でも、いくさだから、敵だから、武士だから殺さなければならない不条理さを嘆いた言葉です。
源平の戦いが終わり、武士の時代が到来しようとしていた時、この世の不条理・生き地獄を味わい、傷ついた人々が、新しい時代の新しい教えを求めていました。
この展覧会に出陳されているみほとけたちは、そんな時代の雰囲気の中で造られたのではないでしょうか。
(こういう話を山口会場でしていたら、会期中に流れたテレビ番組で、「源平合戦のさなかに生まれた仏たち」というテロップが出てしまって閉口しました。「源平合戦の後」が正しいです)
『敦盛最期』の物語は、能や幸若舞になっています。
織田信長が好んだ「人生五十年。下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり。ひとたびこの世に生を受け滅せぬもののあるべきか」は、幸若舞『敦盛』の謡いです。
16:04:48 - iwai - No
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©The Yamaguchi Prefectural Museum of Art


私は興福寺国宝展in大阪に二度行きましたよ。
とっても良かったです。
運慶仏師、好きなんです。
国宝展で「運慶と円空」の本を買って、それがきっかけで、先日、丹生川村の千光寺に円空仏に会いに行って来てしまいました(笑)
私のブログも神社仏閣、仏像関係の記事が(旅行記なんですけど)多いんです。なんか和みますよね。
良かったら遊びに来て下さ〜い♪