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三蔵法師の道 −原点への回帰を目指して− |
この展覧会が、昨年の9月に東京の東京芸術大学大学美術館でスタートした時、内覧会を見に来ていた知り合いの大学の先生に出会った。その先生は、展示を見て「仏像の展示はいいけど、ほかの展示はマニアックすぎるねぇ。」と言われた。たしかに、南都絵所や法相宗の祖師たちなど、一般人に馴染みの薄いものが多いため、マニアックという評価は確かかもしれない。
しかし、我々展覧会を企画する側からすれば、仏像の名品以外の展示にも展覧会のテーマをこめているつもりだ。この部分が欠けてしまったら、この展覧会は、下手をすれば単なる名品展となってしまい、危険を冒してまで貴重な国宝を移動する意義すら失いかねないとさえ、私は思っている。
この展覧会は、解脱上人貞慶や法相教学の歴史や系譜を紹介することで、源平合戦の時代から武士の時代へと移り変わる激動の時代の中で、興福寺復興にかける人々の思いが、運慶たち奈良仏師による、傑作の数々を生み出したのだという「ストーリー」のもとに構成されたものだと思う。
興福寺の鎌倉復興とは、建物や仏像だけでなく、法相教学も含めた、あらゆる点で「原点への回帰」を目指したものであった。それが壊滅的な打撃から復興を成し遂げた人々の原動力であった。鎌倉彫刻の特質である天平復古主義と宋風リアリズムの融合は、原点の仏=天平仏=リアルな仏=真実の仏として、当時の南都仏教にみなぎっていた原点回帰の機運の中で切望されたものである。時代の潮流が傑作を生み出したのだ。
さて、この興福寺における原点回帰の精神を体現している祖師の一人が『西遊記』の三蔵法師のモデルとして知られる中国唐代の高僧、玄奘三蔵(602-664)である。彼は、既存の漢訳された経典では、仏教の本質を学ぶことが出来ないとして、インド行きを決意し、ついに出国の禁を犯して砂漠を渡りインド(天竺)に向かったのだ。彼がインドで学ぼうとした『瑜伽師地論』とは、まさに、あの無著(弥勒という説もある)の著作である。三蔵法師のシルクロードの旅は、自分が求める教えの「原点への回帰」を目指した命をかけた旅だったのである。興福寺は、その玄奘三蔵が中国に伝えた教えを引き継ぐ寺院の一つである。この展覧会もまた、三蔵法師の目指した道に連なっているのだ。
興福寺が進めている「天平の文化空間の再構成」をテーマに掲げた復興事業のあり方が、この展覧会のテーマとつながるのは、現在の興福寺復興の根本理念がここでも「原点への回帰」だということである。2010年の創建1300年を前に、はるばる国宝のみほとけたちが山口など各地を巡回するのは、まさにこのことを知らしめ、現在の興福寺復興の意義を世に問うためである。
果たして、我々は、その思いを訪れた人々に伝えることが出来たのだろうか。それは、後々の評価を待つしかない。
とにかく、泣いても笑っても、5月22日をもって興福寺国宝展山口会場は閉幕する。
©The Yamaguchi Prefectural Museum of Art

