07/23: LAST & FIRST MESSAGE
2007年7月30日
このホームページは「雪舟への旅展」のホームページから、「HEART2007」のホームページにかわります。
そこで「てくTech日記」も、半年ぶりになりましたが、このブログの最後に、HEART2007の案内をのせて、バトンタッチしたいと思います。
①
②
③
現在、この「HEART2007」というイベントの中で進行しているプロジェクトをひとつ紹介しましょう。
①は、山口市内の一の坂川と米屋町商店街を結ぶちいさな小径(こみち)です。あまりきれいではないこの小径の壁をきれいにして、ブロックを敷き詰めて、きれいな小径にしようというプロジェクトです。②は、その完成予想図(合成写真)です。
問題は、そこに敷き詰めるブロックです。
③が、現在いくつか制作したブロックのサンプルですが、このブロックの形や模様、どこか見覚えがありませんか?
答えをいいますと、このブロックの模様は豆腐パックなのです。
お店に並んでいる豆腐が入っているあの容器に、セメントモルタルを流し込んで固めたのが、このブロックです。砂や砂利を混ぜずにセメントと水だけでつくったセメントモルタルを豆腐パックに流し込んで乾かすと、こんな模様の入ったブロックができあがるのです。豆腐パックのミゾは、豆腐がつぶれないようにするためにパックの強度を上げる役割がありますが、こうやって見てみると、大きさや模様にもちがいがあって、意外に形としておもしろいものです。これを使って作り上げる小さな路地は、アート作品でもあるのです。
このプロジェクトは、ROUTE 102(ルート 10・2(とー・ふ))と名付けられました。この小径に敷き詰めるブロックは、集めた使用済みの豆腐パックで型をつくります。ブロック造りや敷き詰める作業をする人も一般の方々から募集し、市民参加で行うものです。(詳しくは、美術館のホームページ等をご参照下さい)
それでは、なぜ、美術館が館外で行われるプロジェクトに関わっているのでしょうか?
HEART2007の正式名称は、「第1回山口県総合芸術文化祭総合フェスティバル美術館特別企画 ミュージアム・タウン・ヤマグチ2007」といいます。
報道発表資料を引用しますと、この企画の趣旨は次の通り。
山口県立美術館は、今年度から、教育委員会から知事部局へ所轄がかわり、これまでの学術教育を重視した社会教育施設としての役割だけでなく、文化による地域づくりや観光交流、地域振興等の幅広い役割を担う地域文化拠点施設としての機能を発揮することが期待されています。
このため、今年度は、美術館や芸術家が地域の人々と一緒になって、その歴史や日常の営みと関わりながらまちを作り、そのことを通じて、都市の核となる中心市街地の魅力あふれるイメージを形作っていくことを目的として、美術館(美術)とまち(日常生活)をつなぐ様々なアート・プロジェクトを展開します。
このようなことから、今年、当館は、美術館の枠から大きく飛び出したプロジェクトに関わっていくことになったのです。そして、この趣旨をお読みいただくと、なぜ、この「雪舟への旅」展のホームページのブログに、HEART2007の紹介を載せたのか、なんとなくおわかりいただけるのではないでしょうか?
片や古美術の展覧会、もう一方は、街中での現代アート・プロジェクト。まったく方向の違うものにみえるかもしれません。しかし、そこには、この「Techてく日記」で何度も繰り返し述べてきた、まちづくり・ひとづくりに関わる問題が、共通しているのではないでしょうか。
このHEART2007は、美術館や、芸術(アート)は、山口の地にとってどんな価値をもつものなのか。それを、多くの皆さんに問うプロジェクトでもあります。しかし、それは「雪舟への旅」展も、基本的に目指すものは同じだと思うのです。雪舟が山口の地にとってどんな価値を持つのか。
再び報道資料から引用します
<ひととアート>のつながり、<まちとアート>のつながりが深まり、<ひととひと>、<ひととまち>がであうことこの楽しさを伝えたいという思いを込めて、「こころにアート。ここにもアート。」をキー・フレーズとします。
ROUTE 102は、
身近な何の変哲もない豆腐パックの模様に芸術性を見いだして、それを芸術作品に仕上げていくという、ものづくりのおもしろさを実感してもらえないだろうか。
生活の一部となっている細い小径をアートにかえてしまうことで、アートを生活の中に取り込むことができないか。
さらに、アートのある、まちづくりを考える機会にならないか。
こんなことを目的として発案されたプロジェクトです。
「雪舟への旅」展のブログは、これでおわります。
しかし、まちづくり・ひとづくりを目指す私たちの活動は、はじまったばかりです。
これからの美術館の活動にご期待下さい。
最後に、みなさんに、ROUTE102プロジェクトからのお願いがあります。
現在、豆腐ブロック(写真③)を作るための使用済み豆腐パックが不足しております。
山口県立美術館や山口市米屋町商店街では、この豆腐パック回収の準備をしております。
商店街に、下のロゴマークのある回収ボックスがあらわれましたら、使用済み豆腐パックをお持ち寄りいただきたいのです。豆腐パック集めも、このプロジェクトの一端です。
ぜひともご協力お願い致します。
102求ム!
(トーフ求む)

05:30:58 PM 更新 このホームページは「雪舟への旅展」のホームページから、「HEART2007」のホームページにかわります。
そこで「てくTech日記」も、半年ぶりになりましたが、このブログの最後に、HEART2007の案内をのせて、バトンタッチしたいと思います。
②現在、この「HEART2007」というイベントの中で進行しているプロジェクトをひとつ紹介しましょう。
①は、山口市内の一の坂川と米屋町商店街を結ぶちいさな小径(こみち)です。あまりきれいではないこの小径の壁をきれいにして、ブロックを敷き詰めて、きれいな小径にしようというプロジェクトです。②は、その完成予想図(合成写真)です。
問題は、そこに敷き詰めるブロックです。
③が、現在いくつか制作したブロックのサンプルですが、このブロックの形や模様、どこか見覚えがありませんか?
答えをいいますと、このブロックの模様は豆腐パックなのです。
お店に並んでいる豆腐が入っているあの容器に、セメントモルタルを流し込んで固めたのが、このブロックです。砂や砂利を混ぜずにセメントと水だけでつくったセメントモルタルを豆腐パックに流し込んで乾かすと、こんな模様の入ったブロックができあがるのです。豆腐パックのミゾは、豆腐がつぶれないようにするためにパックの強度を上げる役割がありますが、こうやって見てみると、大きさや模様にもちがいがあって、意外に形としておもしろいものです。これを使って作り上げる小さな路地は、アート作品でもあるのです。
このプロジェクトは、ROUTE 102(ルート 10・2(とー・ふ))と名付けられました。この小径に敷き詰めるブロックは、集めた使用済みの豆腐パックで型をつくります。ブロック造りや敷き詰める作業をする人も一般の方々から募集し、市民参加で行うものです。(詳しくは、美術館のホームページ等をご参照下さい)
それでは、なぜ、美術館が館外で行われるプロジェクトに関わっているのでしょうか?
HEART2007の正式名称は、「第1回山口県総合芸術文化祭総合フェスティバル美術館特別企画 ミュージアム・タウン・ヤマグチ2007」といいます。
報道発表資料を引用しますと、この企画の趣旨は次の通り。
山口県立美術館は、今年度から、教育委員会から知事部局へ所轄がかわり、これまでの学術教育を重視した社会教育施設としての役割だけでなく、文化による地域づくりや観光交流、地域振興等の幅広い役割を担う地域文化拠点施設としての機能を発揮することが期待されています。
このため、今年度は、美術館や芸術家が地域の人々と一緒になって、その歴史や日常の営みと関わりながらまちを作り、そのことを通じて、都市の核となる中心市街地の魅力あふれるイメージを形作っていくことを目的として、美術館(美術)とまち(日常生活)をつなぐ様々なアート・プロジェクトを展開します。
このようなことから、今年、当館は、美術館の枠から大きく飛び出したプロジェクトに関わっていくことになったのです。そして、この趣旨をお読みいただくと、なぜ、この「雪舟への旅」展のホームページのブログに、HEART2007の紹介を載せたのか、なんとなくおわかりいただけるのではないでしょうか?
片や古美術の展覧会、もう一方は、街中での現代アート・プロジェクト。まったく方向の違うものにみえるかもしれません。しかし、そこには、この「Techてく日記」で何度も繰り返し述べてきた、まちづくり・ひとづくりに関わる問題が、共通しているのではないでしょうか。
このHEART2007は、美術館や、芸術(アート)は、山口の地にとってどんな価値をもつものなのか。それを、多くの皆さんに問うプロジェクトでもあります。しかし、それは「雪舟への旅」展も、基本的に目指すものは同じだと思うのです。雪舟が山口の地にとってどんな価値を持つのか。
再び報道資料から引用します
<ひととアート>のつながり、<まちとアート>のつながりが深まり、<ひととひと>、<ひととまち>がであうことこの楽しさを伝えたいという思いを込めて、「こころにアート。ここにもアート。」をキー・フレーズとします。
ROUTE 102は、
身近な何の変哲もない豆腐パックの模様に芸術性を見いだして、それを芸術作品に仕上げていくという、ものづくりのおもしろさを実感してもらえないだろうか。
生活の一部となっている細い小径をアートにかえてしまうことで、アートを生活の中に取り込むことができないか。
さらに、アートのある、まちづくりを考える機会にならないか。
こんなことを目的として発案されたプロジェクトです。
「雪舟への旅」展のブログは、これでおわります。
しかし、まちづくり・ひとづくりを目指す私たちの活動は、はじまったばかりです。
これからの美術館の活動にご期待下さい。
最後に、みなさんに、ROUTE102プロジェクトからのお願いがあります。
現在、豆腐ブロック(写真③)を作るための使用済み豆腐パックが不足しております。
山口県立美術館や山口市米屋町商店街では、この豆腐パック回収の準備をしております。
商店街に、下のロゴマークのある回収ボックスがあらわれましたら、使用済み豆腐パックをお持ち寄りいただきたいのです。豆腐パック集めも、このプロジェクトの一端です。
ぜひともご協力お願い致します。
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01/23: 山口お宝展関連企画「伝 雪舟」
1月19日から2月18日まで、市内各地で開催されるイベント「山口お宝展」に関連して、当館では、展示室の一角で、小さな企画展示として、「伝雪舟」の作品を展示しております。ほかにも常設展示もご覧いただけます。
ぜひとも、ご来館下さい。
-------------------------------------------------------------
①伝雪舟の山水図
当館は、雪舟(1420~1506?)の真筆3点(いずれも重要文化財)を所蔵していますが、これ以外にも、伝雪舟の作品を数点所蔵しています。
「伝雪舟」とは「雪舟筆と伝えられるけれども、雪舟真筆かどうか、はっきりしないもの」というニュアンスがあります。その中には、真筆とは認められないものもたくさんあります。では、それらがすべて単なる「贋作」つまり「ニセモノ」であって「ダメなもの」「価値のないもの」かというと、そうではありません。
今回展示している雪舟落款の作品も、100%真筆であることが否定されたわけではありません。雪舟が生きていた時代に近い室町時代(戦国時代)15~16世紀頃に制作されたもので、たとえ雪舟真筆でないにしても、真筆を写した可能性もありますし、雪舟スタイルを色濃く反映したものでもあります。ある時期には、真筆として扱われてきました。ずいぶん立派な箱に入っているものもあり、この絵がずいぶん大切に扱われてきたことがわかるでしょう。こうした「伝雪舟」の絵もまた、雪舟がどんな絵を描いていたのか、あるいは、雪舟の絵がどのように、後世の画家たちに影響を与えたのかといったことを考える上で、様々な情報を提供してくれる「お宝」なのです。
雪舟の真筆か否か、意見が分かれる作品は、数多くあります。「伝雪舟」の絵の中に見られる「雪舟らしい表現」「雪舟らしくない表現」とはどういうものか。
こんなことを考えながら見てみるのも面白いのではないでしょうか。
果たして真実はいかに?
②山岡山泉の模写
当館には、大正~昭和初期に山岡山泉(本名: 山岡千太郎 1871~1943)という人が描いた雪舟の絵の模写があります。この人は実業家として活躍し、大正5年(1916)に引退した後、やきものを始めようと陶芸家の河井寛次郎(1890~1966)のもとで絵付けのために絵を習い始め、それが高じて古画の模写を行うようになったという、一風変わった経歴の画家です。
山泉は特に雪舟に傾倒し、雪舟の代表作の国宝「四季山水図巻(山水長巻)」(原本:毛利博物館蔵)を10回近く模写したといい、当館にも一点よくできた模写があります。
ところで、今回展示している雪舟画の模写は、実は原本(オリジナルの絵)の所在がわかっていません。今は人知れずどこかに眠っているのかもしれません。しかし、この模写が描かれた時点では、原本は、それなりに有名な作品だったのでしょう。だから、山泉が模写しているのです。
明治以降の鑑定研究の発展によって「贋作」「ニセモノ」「価値のないもの」として、葬り去られてしまったものは数多くあります。しかし、そうしたもののなかには実は「驚きのお宝」があるかも知れません。
ここに展示してある山岡山泉の模写の原本をご存じの方は、是非、当館にご一報下さい!
12:47:11 PM 更新 ぜひとも、ご来館下さい。
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①伝雪舟の山水図
当館は、雪舟(1420~1506?)の真筆3点(いずれも重要文化財)を所蔵していますが、これ以外にも、伝雪舟の作品を数点所蔵しています。
「伝雪舟」とは「雪舟筆と伝えられるけれども、雪舟真筆かどうか、はっきりしないもの」というニュアンスがあります。その中には、真筆とは認められないものもたくさんあります。では、それらがすべて単なる「贋作」つまり「ニセモノ」であって「ダメなもの」「価値のないもの」かというと、そうではありません。
今回展示している雪舟落款の作品も、100%真筆であることが否定されたわけではありません。雪舟が生きていた時代に近い室町時代(戦国時代)15~16世紀頃に制作されたもので、たとえ雪舟真筆でないにしても、真筆を写した可能性もありますし、雪舟スタイルを色濃く反映したものでもあります。ある時期には、真筆として扱われてきました。ずいぶん立派な箱に入っているものもあり、この絵がずいぶん大切に扱われてきたことがわかるでしょう。こうした「伝雪舟」の絵もまた、雪舟がどんな絵を描いていたのか、あるいは、雪舟の絵がどのように、後世の画家たちに影響を与えたのかといったことを考える上で、様々な情報を提供してくれる「お宝」なのです。
雪舟の真筆か否か、意見が分かれる作品は、数多くあります。「伝雪舟」の絵の中に見られる「雪舟らしい表現」「雪舟らしくない表現」とはどういうものか。
こんなことを考えながら見てみるのも面白いのではないでしょうか。
果たして真実はいかに?
②山岡山泉の模写
当館には、大正~昭和初期に山岡山泉(本名: 山岡千太郎 1871~1943)という人が描いた雪舟の絵の模写があります。この人は実業家として活躍し、大正5年(1916)に引退した後、やきものを始めようと陶芸家の河井寛次郎(1890~1966)のもとで絵付けのために絵を習い始め、それが高じて古画の模写を行うようになったという、一風変わった経歴の画家です。
山泉は特に雪舟に傾倒し、雪舟の代表作の国宝「四季山水図巻(山水長巻)」(原本:毛利博物館蔵)を10回近く模写したといい、当館にも一点よくできた模写があります。
ところで、今回展示している雪舟画の模写は、実は原本(オリジナルの絵)の所在がわかっていません。今は人知れずどこかに眠っているのかもしれません。しかし、この模写が描かれた時点では、原本は、それなりに有名な作品だったのでしょう。だから、山泉が模写しているのです。
明治以降の鑑定研究の発展によって「贋作」「ニセモノ」「価値のないもの」として、葬り去られてしまったものは数多くあります。しかし、そうしたもののなかには実は「驚きのお宝」があるかも知れません。
ここに展示してある山岡山泉の模写の原本をご存じの方は、是非、当館にご一報下さい!
12/28: To be continued......
てくTech日記は、11/30で終わりましたが、もうしばらくこのブログは続けられるそうなので、久しぶりに綴ってみました。
「雪舟への旅」展が終わり、作品の返却も終わり、展覧会の仕事は一段落付きました。まだ終わっていない仕事もいくつかありますが、展覧会は無事終了ということになりました。
しかし、私たちの「雪舟」を核とした美術館の仕事は、これでおしまいではありません。
この展覧会は、山口県立美術館開館以来行ってきた展覧会や作品収集、10年前に発足した雪舟研究会の培ってきた研究成果の上に出来上がったものです。展覧会として具体的に動き出してからでも、すでに4・5年近くはたっています。いわば、この展覧会は、山口県立美術館開館以来の総決算ともいうべき仕事だったのです。
では、総決算が終われば、「雪舟」を核とした美術館の仕事は、これでおしまいかと言えば、そうではありません。
これは新たな始まりなのです。
展覧会の最終日のブログに美術館は町づくり・人づくりの中心にいなければならないという話にふれましたが、「雪舟」を核とした美術館の仕事の目指すところは、まさにそこにあります。
・新しい雪舟作品の発掘・収集に取り組んでいる。
・雪舟に関連する展示をいつも行っている。
・雪舟の最新の研究成果を発表している。
・雪舟に関する資料は最新のものが何でもそろっている。
・雪舟のことなら、山口県美に聞けば何でもわかる。
→雪舟の街やまぐちの顔としての役割を果たす。
私たちは山口県立美術館をそういう場所にして、地域からも全国からも注目される場所にしたいのです。この展覧会が、そういう流れを作る起爆剤になればと思う次第です。
今のご時世ですから、「研究」には常に成果が求められます。公立の美術館が「研究」を行うからには、その成果は、展覧会や作品収集だけではなく、町づくり・人づくりといった多様なものに求められるようになることでしょう。
この展覧会は、一過性のイベントとして終わらせるものではなく、これからのやまぐちの文化振興に役立てていくものにしたい。そんな意気込みで取り組んできたつもりです。そして、これからもです。
どうか、これからの「雪舟」を核とした山口県立美術館の取り組みに、ご期待下さい。そして、応援して下さい。お願いします。
それでは、よいお年を。
[予告]
山口お宝展関連企画「伝 雪舟」
来年1/19~2/18 当館のお宝、伝雪舟「山水図」3点ほかを特別展示します。
09:37:14 AM 更新 「雪舟への旅」展が終わり、作品の返却も終わり、展覧会の仕事は一段落付きました。まだ終わっていない仕事もいくつかありますが、展覧会は無事終了ということになりました。
しかし、私たちの「雪舟」を核とした美術館の仕事は、これでおしまいではありません。
この展覧会は、山口県立美術館開館以来行ってきた展覧会や作品収集、10年前に発足した雪舟研究会の培ってきた研究成果の上に出来上がったものです。展覧会として具体的に動き出してからでも、すでに4・5年近くはたっています。いわば、この展覧会は、山口県立美術館開館以来の総決算ともいうべき仕事だったのです。
では、総決算が終われば、「雪舟」を核とした美術館の仕事は、これでおしまいかと言えば、そうではありません。
これは新たな始まりなのです。
展覧会の最終日のブログに美術館は町づくり・人づくりの中心にいなければならないという話にふれましたが、「雪舟」を核とした美術館の仕事の目指すところは、まさにそこにあります。
・新しい雪舟作品の発掘・収集に取り組んでいる。
・雪舟に関連する展示をいつも行っている。
・雪舟の最新の研究成果を発表している。
・雪舟に関する資料は最新のものが何でもそろっている。
・雪舟のことなら、山口県美に聞けば何でもわかる。
→雪舟の街やまぐちの顔としての役割を果たす。
私たちは山口県立美術館をそういう場所にして、地域からも全国からも注目される場所にしたいのです。この展覧会が、そういう流れを作る起爆剤になればと思う次第です。
今のご時世ですから、「研究」には常に成果が求められます。公立の美術館が「研究」を行うからには、その成果は、展覧会や作品収集だけではなく、町づくり・人づくりといった多様なものに求められるようになることでしょう。
この展覧会は、一過性のイベントとして終わらせるものではなく、これからのやまぐちの文化振興に役立てていくものにしたい。そんな意気込みで取り組んできたつもりです。そして、これからもです。
どうか、これからの「雪舟」を核とした山口県立美術館の取り組みに、ご期待下さい。そして、応援して下さい。お願いします。
それでは、よいお年を。
[予告]
山口お宝展関連企画「伝 雪舟」
来年1/19~2/18 当館のお宝、伝雪舟「山水図」3点ほかを特別展示します。
11/30: 旅のおわりに もういちど

最終日は混雑するからということで、避ける人が多かったのでしょうか。昨日に比べて、今日はすいています。
11月1日から開催された「雪舟への旅」展が、ついに閉幕しようとしています。
開催日数は、今日を入れて29日間。10万人を超えるの方々に、雪舟の作品をご覧いただきました。多くの方々が当館に足を運んでいただいたことに感謝します。
その反面、私は一抹の不安を覚えるのです。
それは、私たち展覧会主催者のメッセージがどれぐらい伝わっただろうかということです。
・本当に雪舟の絵を堪能してもらえただろうか。
・漠然とでもいいから、雪舟の絵の良さを感じていただけただろうか。
・雪舟の人生と絵の変遷(来山・入明を経て、年取ってから開花した遅咲きの画家であること)を感じてもらえただろうか。
・雪舟は山口の画家であることを知ってもらえただろうか。
そして、なによりも
・雪舟さんを好きになってもらえただろうか。
果たして、想いは伝えられたのか。それは、もう少し時間が経ってみないとわからないことかもしれません。
我々の想いが少しでも伝えられ、雪舟の記憶が残ってくれたら幸いです。
この展覧会で、雪舟の絵を初めて見た方にも、何度も見たことのある方にも、お願いがあります。これからも何度でも、雪舟の絵を見に行っていただきたいのです。絵は見るたびに新しい発見があるはずです。毛利博物館では毎年秋に、「四季山水図巻(山水長巻)」が展示されます。国立博物館でも常設に時々展示されることがあります。そこでは、一点一点をゆったり見ることが出来るでしょう。もういちど、雪舟さんに会いに行ってみてくださいませ。
-----------------------------------------------
本来、この「てくTech日記」は展示の工夫など、裏方の苦労話を披露するためのブログでしたが、いつのまにか美術館学芸員である私自身の「自分探しの旅日記」になってしまったようです。
「お前の考え方は間違っている」「何を偉そうに」「きれい事を抜かすな」と反感を持たれた方もいるかもしれません。一面的なものの見方もあったかもしれません。問題のある失言もあったかもしれません。行き当たりバッタリの文章で、つじつまの合わないところも多々ありお見苦しいところもあったかと思います。
美術館員のナマの声を通じて、少しでも私たちの活動に共感していただけたらという想いで、書き込みを続けて参りました。どうか、無礼な発言をご容赦下さいませ。
また、今後とも、当館の活動にご理解とご協力を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
こんな役所風の挨拶で「てくTech日記」を終えたいと思います。
どうもありがとうございました。
2006/11/30 TG
11/30: 美しき まちづくり ひとづくりのために

雪舟を招き寄せ、雪舟が選んだのは
「大内氏配下の禅宗システム」だった
島尾新「雪舟と山口」『天開圖畫』5号 2005年 25頁
当館で主催する雪舟研究会の委員長でもある島尾新先生のこの一文は、この展覧会を根幹を形成する重要なコンセプトです。
要するに、
「雪舟は、お坊さん絵描きとして、大内氏のもとにIターン就職して山口にやってきた」
ということです。
雪舟研究会の活動に関わってきた当館の人間や、大内文化に詳しいやまぐちの人たちにとっては、それほど驚くようなことではないかもしれません。
しかし、全国的に見れば、雪舟は各地を放浪した「漂白の画聖」だったというイメージ(要するにフリーターだったということ)は未だに払拭されていないような気がします。恥ずかしながら私は大学で美術史というものを専攻していながら、10数年前にこの山口に就職するまで、雪舟がこれほど山口に関係の深い画家であることを知りませんでした。
私は「雪舟が山口の画家である」ことをもっと誇りに思い、山口の町づくり、人づくりに活かしていかなければならないのだということを、ここ数年大きく感じていました。だから、この展覧会が、そうした気運を盛り上げていく契機になって欲しいと思っています。
ところで、
雪舟が「大内氏のスタッフ」として活動していた。
という視点で大内文化というものをながめてみると、大内氏の文化活動というものが、非常に政治・外交と密接につながっていたということを知らされます。
つまり、大内氏歴代の殿様たちは、単なるゼイタクや道楽で文化振興を行っていたわけではないようなのです。殿様自身の京都の中央政権との政治・外交の手段として、その存在意義をかけて、文化活動にいそしんでいたと考えた方がいいようなのです。詳しいことは、私もよくわからないのですが、いくさと同じぐらい真剣にやっていたということらしいのです。
そうだとしたら、文化というものは、道楽やゼイタク、あるいは社会の上部構造として見ていてはいけないのではないか。こんなことまで思うようになりました。かつての為政者たちが、なぜ、社寺造営など芸術・文化の振興に力を入れたのかを考えていくと、為政者たちにとっては、今日でいうところのインフラ整備にも相当する重要な位置を占めていたからではないか。そんな風に感じられるのです。
もちろん、雪舟を招き寄せた大内時代の文化振興政策を、社会構造の違う現代に、そのままあてはめるわけにはいきません。しかし、ここ数年「周防国分寺展」「興福寺国宝展」といった、寺院の復興と存続をテーマとした展覧会に関わってきた私は、このような社寺を中心に展開してきた文化振興の歴史に、自分が所属している公共文化施設の存在意義みたいなものを重ね合わせて考えずにはいられないのです。周防国分寺も興福寺も、それぞれの時代に応じて、存在意義を発揮出来たからこそ幾多の苦難を乗り越えて存続してきたのです。現在の公共施設もそういうものではないでしょうか。
昨今のご時世、公共施設の存在意義については、かつてより厳しい目で見られるようになってきました。美術館もご多分にもれないでしょう。かつての大内の殿様のようなパトロンはいません。そうであれば、今日の美術館のような公共施設のパトロンたり得るのは、国民であり、県民であり、市民のみなさん一人一人でなければなりません。パトロンたり得る人がいなければ、美術館の存在は、あまりにも脆弱なものになってしまうのではないでしょうか。
昔、博物館学の論文で「美術館・博物館が町づくり、人づくりの中核にならなければならない」といった趣旨のことが書いてあり、感銘を受けました。
山口県立美術館は、世のため人のために必要な施設である。
私たちは、常に自らの存在意義をアピールしていく必要に迫られているように感じています。ですから、こう主張しておきたい。
そして、多くの人々が、それに応えていただいている。
「雪舟への旅」展が10万人を超えた今、その手応えをひしひしと感じています。
どうか、これからの美術館を、より多くの人に応援してもらいたい。
そう願う今日この頃です。
雪舟への旅展 本日午後7時までです。
11/29: 十万人達成!

本日午後4時過ぎ、ついに「雪舟への旅」展の10万人目の入場者の方をお迎えすることが出来ました。
多くの方のご来館に感謝致します。
今日も夜の7時まで開館しております。昼間は混み合う館内もさすがに夕方はすいてます。近隣のみなさま。お見逃しの無いよう。
11/29: 展覧会と作品の価値








雪舟への旅展 あと残り2日となりました。
展覧会の終盤に近付くと、お客さんも増えて、にぎやかになりますが、これで雪舟さんの名品とお別れかと思うと一抹の寂しさを覚えるものです。
無料期間だった11月の初め頃だったと思いますが、会場でお客様から「この国宝の作品は、一体いくらするのか?」と聞かれて、困ったことがありました。もちろん、国宝にもそれ相応の評価額があります(とてもですが言えません)が、それだけでは、はかりきれない価値というものがあるからです。
作品の価値は、「金銭的価値」だけではありません。よく、我々が使う言葉でも「造形的価値」「歴史的価値」「資料的価値」「社会的価値」などなど、色々な価値基準があります。そうした様々な価値観の中で、美術史家の立場から言えば、やはり「美術史的価値」というものを優先したいと思うのです。それは、金銭的価値などと違って、他のものでは代替の効かないオンリーワンの価値だからだと思うからです。
この評価というものは、絶対的な基準はありません。前にも「国宝ってのはどういう基準で決めるのか」と聞かれて「色々な価値を勘案して決めます」と答えましたが、正直なところ、数値的に計算して決められるような基準値なんて説明出来ないでしょう。
こうした価値に対する問いに対して
「人の価値基準は千差万別なんだから、国宝だの重文だのと、国が決めた価値基準に縛られないで、作品を見て、ちゃんと自分で判断してください。」
と言いたくなることは、この仕事をしていると多々あります。
その一方で、我々「モノを見る商売」をしている人間は、価値判断を人任せにできない局面に常に立たされます。
例えば、私の上司は、国民文化祭の公募展などで審査員を頼まれることがあります。我々は、作者の人に落とされた作品だからダメな作品だとは、思っていないし、思って欲しくないのですが、それでも、応募作品の中から入選と選外という評価を下さなければなりません。これも酷な仕事です。
私の場合も、自治体の文化財指定の仕事に関わっており、文化財指定の是非に関わることもあります。そんなときに、「これは指定しましょう。」「これは指定しなくてもいいでしょう。」といった選定をする局面に立たされるのです。指定の有無で、その文化財が生き残るか否かが決まる場合だってあります。(ですから場合によっては人から恨まれるかもしれません。)
こうした、外部から頼まれる仕事以上に、美術館学芸員は、中での仕事で、作品の価値を左右する局面に常に立たされるのです。
その最たるものが、展覧会なのではないでしょうか。
展覧会に出品する、「その作品」を選ぶという行為自体に、主催者・担当者の見識が問われるのです。
新出の作品であれば注目を浴びるわけですから、その後指定を受けたりすることだってあり得ます。下世話な話で、作品が市場に出たときに価格が上がってしまうことだってあり得ないことではありません。つまり、展覧会の企画自体が、今現在のその作品の価値を決めることなのです。展覧会の主催者・担当者は、作品の価値を左右する重い責任を、好むと好まざると負わなければならないのです。また、そうでなければ、こうした特別展をやる意味はありません。
雪舟の国宝級作品になると、この展覧会で大きく価値が揺らいだり、全く違った価値を提示することはあまりないのかもしれません。だからこそ、シビアです。この作品について、どんな新しい価値を提供出来たのか。それが問われるからです。保存と活用のバランスの難しい貴重な文化財の価値を、無反省に浪費するような扱いは、許されないのではないでしょうか。
「雪舟への旅」展が、出品作品一点一点に対して、どのような価値を与えることになったのか。最終的にその評価を決めるのは、私たち主催者ではなく、後世の評価ということになるのでしょう。
伝説の展覧会
この展覧会が、後世こう呼ばれるようになることを願いつつ、最終日を迎えたいと思います。
ちなみに、今回の私の立場から言えば、
別の場所で見たときよりもよく見えていいですね。
とお客様に言われた時が、一番嬉しかったです。
前に見たことがある作品でも、お客様に新しい、しかもよい印象を与えることが出来たことには、大きな達成感がありました。
11/28: 非常事態

展覧会もあと、残すところ本日を含めて3日となりました。みなさん、お見逃しはないですか?
このところ、特別展というものが「異常事態」であり「緊急事態」であると言ってきました。
(我々も、人の入りが気になります。こうやって、すごいことなんだと煽るのも商売のうちです。もちろん、看板に偽りはありません。すごい展覧会ですから、見逃したら一生の損ですよ。)
今日は、さらに「非常事態」であると、訴えたいと思います。
こんな「ランカイ屋」(「展覧会屋」の略。)の私が「美術史家」だと言って、どれだけの人が認めてくれるのかわかりませんが、自称美術史家の私だけでなく、美術館の(特に古美術系の)学芸員は、美術史という分野の立場から美術品に関わっている人が多くいます。
美術史家には、色々な職業の人がいますが、基本的には、美術品を見てそれについてなにがしかの事を述べる事、つまり「見る」ことを生業としているといえるでしょう。
しかし、美術館の学芸員の場合、自分自身が「見る」ことだけでなく、多くの人に「見せる」ことも、商売の一環として行っています。
ところが、この「見せる」という行為は、なかなかやっかいな行為なのです。
人々に説明する内容や、鑑賞のポイントを示すというような、美術史家としての仕事についてはここではふれません。
「見せること」
すなわち、作品を公開すること。これは、美術館員の仕事の一環である作品の保管という行為と、相反する行為であるということです。
(もともと、学芸員curatorは「管理人」といった意味で、辞書には、館長とか書いてあって、責任ある立場の人の肩書きなのです。そういえば某映画の中で、ジャック・ソニエール<館長>の事をキューレーターと言ってましたね。)
展覧会では、すべての作品をガラス展示ケースに入れて温湿度の変化の少ない環境で、照度も暗めにし、作品が傷まない状態で展示をしています。特に照度に関しては、所蔵先で展示される時よりも、おそらくは暗いのではないでしょうか。私たちは所蔵先以上に厳密な環境で展示したいと心がけています。人間でもそうですが、旅行先の環境は、普段よりも快適な環境だとしても、慣れなくて疲れるものです。美術品も同じです。ですから可能な限りVIP待遇で、展示を行っているのです。
では、このように万全の環境を保ったとして、100%作品に悪影響を及ぼさない環境が構築出来るでしょうか。
答えは、Noです。
絵画作品は、ほんのわずかでも光に当たり、空気に触れれば、確実に劣化していくのです。その度合いが作品の素材によって大小があるにすぎません。私たち美術館員は、美術品の寿命を延ばすための配慮は出来ても、美術品に永遠の命を与えることは、出来ないのです。
状態が悪ければ、修復すればいいのですが、修復は当初の状態に戻ることではありません。保存科学の研修で聞きかじった話によれば、一度破壊されたオンリーワンの分子の結合形態を、全く同じ形に再現させることは出来ないということらしいです。
また、どんなに作品の品質管理に万全なケースを作ったとしても、この展覧会のようにたくさんの人が来れば、ホコリやゴミ、そして人の発する熱や息に含まれる水蒸気など、危険な環境と隣り合わせになるのです。厚い壁に囲まれた収蔵庫に比べたら、展示室の方が危険度が高いことには間違いありません。
このように、考えれば、どんなに完璧な保存環境を準備しても、作品を展示するという行為自体が、作品を何らかの形で作品を破壊する行為だということは否定出来ません。
展覧会は、作品にとって非常事態でもあるわけです。
そんな危険な目にあわせるのはよくないから、見せないようにしよう。外に出さないようにしよう。蔵の中に保管したままにしておこう。
作品を後世に伝えるためには、外に出さない、公開しないことがいいことに違いはありません。だから国宝や重要文化財は、公開期間を厳しく制限しているのです。
だからといって、作品が全く公開されない状態になってしまうことは、望ましいことでしょうか。私はそれもまた、作品にとってよくないことだと思っています。
人目に付かないで存在している作品は、まかり間違えば、その作品が存在していないのと同じ状態になりかねないからです。
作品は、人目に触れてこそ、生きた状態にある。人目に触れてこそ価値がある。
もし、このことが否定されたら、展示施設としての美術館・博物館は不要なものとされてしまうでしょう。
展覧会は、後世に残すべき作品の存在価値を、多くの人に見せて問うべき場所であり、後世へのさらなる保存につながる活動でなければならないと思います。そして、新たなる作品の価値を問うためには、綿密な調査・研究が必要なのです。その研究成果として、展覧会は開催されなければならないのです。
「公開」という、作品を危険にさらす非常事態の展覧会を開くことの意義。
私たち美術館員は、常に自分自身に問い続けなければならないでしょう。
で、結局何が言いたいかって?
要するに、すご~いたいへんな展覧会なんだから、たくさんのお客さんに見てもらいたいってことです!
11/27: 緊急事態

いつ頃か、人に言われたのか、自分で思いついたのかよく覚えてません。
色々なところから、作品を借用して行う特別展というのは、「親族会議」のようなものだなぁ、と思った事がありました。
つまり、こんなことです。
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雪舟という人が描いた絵という一族があり、その末流の雲谷派の描いた絵という傍系の一族があり、あるいは、遺影を写した姿だけのものもあり。雪舟の絵にかかわる色々な一族のみなさん(作品)が、500年以上の歳月を生きながらえて、今日、様々な場所におられます。
どなたも、それぞれのご所属の場所で要職についておられます。ご高齢のため、頻繁には姿をお見せになりませんが、それぞれの場所で、現役としてご活躍されております。中には、大スターもいて、その方が姿を現すときには、追っかけが全国からやってくるような方だっています。
そんな、お歴々に、このたび雪舟さんの没後500年を記念して、かつて雪舟さんが活躍したこの山口の地で、親族会議(雪舟への旅展)を開催し、お集まりいただくことに致しました。忙しい方や、すでにスケジュールが埋まっていたり、先方の都合により出られない方もいました。しかし、こうして、人目に出られる限られた時間を調整して、スケジュールを裂いて、時には、ご所属での肩書きや、立場をも取り去ってのご出席をしていただけました。ご高齢な重鎮たちをこの会議(展覧会)に出る事を許して頂いたご家族(所蔵者)には、感謝の言葉もありません。
さて、親族会議とは、そんなにひんぱんに開かれるものではありません。何かの記念の年、大きな一大事。つまり、緊急事態でもない限り、開くわけにはいきません。
そこに集まるには、何か会議をする議題(テーマ)が必要でしょう。名士のみなさん(国宝・重文など)が集まっていただくには、それぞれの方々に、お役目を持って出席して頂かなければ、失礼に当たります。ですから、「雪舟への旅」という親族会議には、どの出席者(出品作品)にも、ひとりひとり、肩書きを持って出席していただく必要があるのです。結婚式の席次表みたく、「新郎叔父」とか、「新婦従姉妹」みたいな肩書きが必要なのです。
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展覧会というのは、親族会議同様、緊急事態でなければ、開いてはいけないものなのではないか。やるからには、それなりの理由が必要なのです。よそ様から、作品をお借りするという事は、それは、一大事なことなのです。
以前、私は上司から「展覧会とは、同じ作品・作家を取り上げるにしても、常に新たな研究成果、新たな視点に基づくものでなければならない。それが例え建前だけであってもだ。」と教えられた事があります。その当時は、「なにきれい事を…」と密かに思ったものでしたが、近年、本当にそうだという事を身をもって認識するようになりました。
没後500年記念のこの年に、山口県立美術館で、雪舟の展覧会を開くのは、だいたいこんな理由が挙げられるでしょう。
1 長い間歪められた雪舟のイメージを取り払い「これが雪舟だ」という正しい雪舟のイメージを提示する事。
2 最新の学術成果をもとに、雪舟の作風の変遷をたどる事。
3 山口に根付いた雪舟流雲谷派とともに、「雪舟は山口の画家である」ことを、多くの人々に再認識させる事。
そのために、作品を厳選し、場合によっては、当初の伝来からも切り離して展示するのです。
(例として、大和文華館蔵の雪舟像があります。これは、箱書きに「鴨長明」とありますが、描かれた人物像のスタイルから、雪舟像とされるようになり、この展覧会でも雪舟像として出品しているのです。)
書いてしまえば簡単ですが、これは、場合によっては作品の価値を180度転換してしまうような重い責任を持った仕事なのです。そんな重大な仕事に、多くの所蔵先の所蔵品を巻き込んでしまうのですから、これは大変なことなのです。そんな大それた事は、「没後500年記念」という大きな節目を迎える年(ついでにいえば、国民文化祭が開催された今年)である2006年を外しては、実行出来ません。まさに、千載一遇の機会なのです。
だからこそ、展覧会の趣旨を理解し、ご出品いただいた所蔵者と、集まって頂いた作品一点一点に敬意を表しながら、展覧会を組み立て、そして多くの方々に見て頂きたいと願うのです。
最近こんな事を思うようになりました。
11/26: 山口へ 雪舟のいた 山口へ

これは、写真に出している展覧会ポスターが出来る前に、広報に使っていた予告ポスターに使われたコピーです。
今回の展覧会は、地方都市で開催される雪舟の展覧会としては、過去に例を見ない大規模なものです。それが、なぜ、山口で開催されるのか。そのことを前面に打ち出したのが、このコピーです。
最近、団体向けに、この展覧会の概要を説明する機会が多くあります。そのたびに、この展覧会が国民文化祭と雪舟没後500年を記念して開かれるものであるということと、この展覧会の機会を通じて
「雪舟は、山口の画家である」
ということを全国的にアピールしたいのだ、と説明しています。没後500年記念(雪舟の没年は、1502年説と1506年説とあるので、500「周年」ではなく「記念」と言っているのです。)の年に、この山口で開催するからには、そのことを語らないわけにはいきません。
「でも、全国レベルで評価されている雪舟を、一地方画家に位置づけちゃっていいの?」
こんなことを知り合いから聞かれたことがあります。この問いに対して、山口の人は、はっきり「そうです」と答えなければいけません。昨日の綿田先生の講演会を聞いて、あらためてそのことを確認できました。
雪舟は、全国レベルの画家、日本の画家、世界の画家という取り上げ方をされる中で、「山口の画家」であるということが、なおざりにされたのではないか。そんなことを最近思います。
雪舟は、いわゆるジゲ(「地毛」ではありません。「地下」と書きます。地元の生まれ育ちの人という意味)ではありません。岡山生まれの人です。
その岡山生まれの雪舟が、「Iターン就職」で山口に来たのです。
そして、もし、山口に来なかったら、雪舟は後世画聖と呼ばれるには至らなかったのです。だから、雪舟は山口の画家なのです。
このことは、全国的にも、そして、少なくとも山口の人には、もっともっと、知っておいてもらいたいことなのです。
「なぜ、やまぐちで雪舟展をやるの?」
と聞かれるようではいけません。
「やまぐちだから雪舟展をやるのね。」
こう言われるようになりたいのです。